井上幸子略歴☆私の決意

みなさん、こんにちは  

人気の音楽教室を作るリトミック講師の井上幸子です♪

私の略歴も少し書いてみたいと思います。

私の小さいころからの夢は保育士さんになること

なんとなく子どものころから、

子どもとかかわる仕事に就きたいと思っていました。

小学校では、太鼓クラブ(部活のようなもの)と

バトンクラブ(週1の必修のクラブ)両方の部長をしていました。 

小学校の終わりのころ、

仲良かったグループの子たちに仲間はずれにされて

中学・高校はお友達作りが苦手になりました 

部活は吹奏楽で、クラリネットを吹いていました。 

部活ではお友達もでき、音楽する事が楽しかったです 



高校の時は、そこそこの進学校でしたが、 

勉強には集中出来ず 、

音楽の先生と相談し音大を目指す事にしました。


ピアノは小学校の頃少し、

中学で少し・・・と とびとびに習っていて、

ブルグミュラー程度しか弾けませんでした。 

そして、昭和音楽大学短期大学部声楽科に進みました。 

そこでもあまり、授業には興味が持てず

なんとなくバイトなどをして過ごしました。

子どもに教える仕事をしたいと思っていたので、 

夜、リトミックの専門学校に通いました。

卒業後も、ボランティア程度のリトミックの仕事しかありませんでした。


半年後、アメリカへ 

ノースキャロライナ州とインディアナ州で、1年位英語を学んだ後

ニューヨークのダルクローズ スクール オブ ミュージック へ入学。 


そこで受けたリトミックの授業は、 

それまで私が習ったり、見たものとまったく違うものでした。



ヒルダ・シュースター先生は、

リトミックの創始者ダルクローズに 直接師事した、

本当に素晴らしい先生でした!

先生の音楽に合わせて動く事が、本当に楽しいのです!

ピアノも英語もソルフェもクラスで一番出来ない私でした。

毎日「Oh! NO!Sachiko〜」 と言われていました。

悲しくて、心細くて 涙する日々でした。

でも・・・ なぜか今まで探し続けていたものに出会えた感じがしたのです。

いつの間にか、

このリトミックで地域に・世界に貢献できるような自分になりたいと 

深く思うようになっていました。(大きな夢すぎて笑っちゃいますが・・・)
 


シュースター先生のリトミックに初めてふれてから、

3年間毎日がリトミックの日々・・・ 


そしてついに国際サティフィケイトを取得しました。

その年、ちょうどそのころ90歳位だったシュースター先生が引退されました。

大好きなスタンウェイのピアノを老人ホームに持って行き、弾いていたそうです。

大師匠、シュースター先生がいたから本当に今の自分はあるのだと思うのです。


日本に帰国してから、実際に教え始めて

また違った色んな、悩み、苦労、工夫をしてきました。

続きは、もし良かったらリトミック教育研究所(ドリームミュージックの)

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